ソングライン – Bruce Chatwin

本読んで、印つけたり色々するけど、忘れちゃうことが多いので、メモっとくことにしょうかな、と思いたって。
読んでみたい本の重要な部分を知りたくない人はスルーしてもらった方がいいです。

イギリスの作家ブルース・チャトウィンの『ソングライン

すでにHIVに感染し、亡くなった作者の旅行記。だけど、フィクションだって。
彼は、サザビーズのポーターからディレクターまでのぼりつめたのに、さくっと辞めて、旅をしてまわるようになったそうです。アートに詳しい彼なのに、着眼点が歌なのがなぜだろう、って思った。
伝統的な暮らしをしている砂漠に住むアボリジニについて、歌、そして旅は彼らにとって何を意味するのかということ。
アボリジニアートと一緒で、歌は伝統的な生活を続けるに当たってとっても大切な役割を持っているということ。
そういうことを、ロシア人移民のアルカジーを案内役に砂漠でアボリジニたちに出会って知っていくという話でした。

アボリジニは大地をそっと歩く人々である。大地から受け取るものが少なければ少ないほど、返すものも少なくてすむ。 (P24)

やっぱり、大地から何かを受け取っている、ということが実感できる生活をしていれば、自然とそうなるのかも。 私たちは借金まみれだ。
 

アボリジニに先祖たちは土から自分自身を創ったが、ひとつの崇敬物(トーテム)にひとりずつ、何百、何千もの人間を創った。
…アボリジニが『私はワラビーの”夢”を持っている』といったら、それは、『私のトーテムはワラビーだ。私はワラビー族の一員だ』といういみになる。…ワラビー族の人々は自分たちのことを、人間も動物も含めたすべてのワラビー族の先祖である”始祖ワラビー”の末裔だと考えている。 (P25−)

…エミューの”夢”を描くことはできません。エミューがこの人の父親のトーテムで、神聖なものを汚すことになるからです。ミツツボアリは母方の従兄のトーテムなので、描くことができるわけです。そうよね、スタン?ギデオンの”夢”がミツツボアリなんでしょう?」…「ギデオンは」夫人はつづけた。「スタンの儀式マネージャーでしてね。描いていいものといけないものを互いに教えあっているんです。」(P46 -)

神話のようで、それだけに留まらず、ここのトーテムがアボリジニの社会の決まりごととかも定められるところが興味深い。
動物も同じ先祖をもつ仲間とするところは、キリスト教とは違う。けど、今はコミュニティに教会があり、子供たちはゴスペル歌ったりする。みんなクリスチャンだっていってたし。このへんのところはどうなってるんだろう。

「歌は」彼は言った。「地図であり、方向探知機でもあった。歌を知っていれば、国じゅうどこへでも行けた」… 「もし、ソングラインをはずれたら?」「他人の土地に侵入することになる。槍で突かれかねない行為だよ」「でも、その道からはずれないかぎり、自分と同じ”夢”を持つ仲間を必ず見つけられたわけだね。」…「ということは、歌はパスポートとか食事券のようなものかい?」「何度も言うけど、そんなに単純なものじゃないんだ」少なくとも理論のうえでは、オーストラリア全土を楽譜として読みとることができた。この国では、歌にできなかった、あるいは、歌われることのなかった岩や小川はほとんどない。(P26-)

    
 

詩の原義は、”創ること”であり、歌うことで世界を存在させた先祖たちは、その本来の意味において詩人であった、とアルカジーは言った。アボリジニの人々は、創造された世界が完全無欠なものだと信じて疑わなかった。その信仰生活の目的はただひとつ、土地をそれまでどおりの、あるべき姿のままにしておくことだった。”ウォークアバウト”は、儀礼としての旅だったのだ。彼らは先祖の足跡をたどった。そして先祖伝来の詩と旋律を一音一句変えずに歌うことで、”創造”を再現したのである。 (P28)

  

「歌なしでは道は存在しえません」「歌と土地はひとつのものです」(P49)

砂漠のある地域で育った人は、その土地固有の植物相と動物相を知っている。どの植物が獲物を引きつけるのかを知っている。水場を知っている。どこでイモ類がとれるのかを知っている。言い換えれば、その土地のあらゆる”物”に名前をつけることで、人は生き抜いていくのだ。
「でも、もしその人に目隠しをして他の土地へ連れて行ったら」彼女は言った。「道に迷い、飢えることになるでしょうね。」…
「つまり、人はその土地の”物”に名前をつけることで、そこを自分のテリトリーにするということ?」…
「だから、共通の言語基盤も存在しえなかった?」…
ウェンディが言うには、今日でもアボリジニの母親は、子供が初めてしゃべりそうな兆候を見せると、葉や果物や昆虫など、その土地特有の”物”を持たせてやるそうだ。…
「私たちは子供におもちゃの銃やコンピュータ・ゲームを与えるけど」ウェンディーは言った。「アボリジニは子供に土地を与えるのよ」(P444 -)

それ(チェリンガ)は楽譜であり、先祖の旅を読み解く手引書でもある。それは、先祖の体に代わるもの(パルス・プロ・トト『”全体を代表する一部分”を表すラテン語』)である。自分の分身であり、魂であり、冥府の川の渡し守カロンに手渡す銀貨であり、土地の権利証であり、”もどってくる”際のパスポートとチケットである。…
アリススプリングスでのらくら暮らす若者が、こんなふうにいわれているのを聞いた。「あいつは自分のチュリンがを見たことがないから、自分が誰だかわからないんだ」(P474)

サー・グレイ(サー・ジョージ・グレイ)は、おそらく、白人探検家として初めて、アボリジニが多少の苦労はあっても”安楽に暮らしている”ことを理解した人物である。…
「…その優雅な動き、慎重な前進、そして獲物に警戒されたとき、その体にみなぎる静寂。そうしたものすべてに、見る者は我知らず想像を掻き立てられ、思わずつぶやく。『なんと美しい!なんと、なんと美しいことか!』」(P340)

アボリジニアート、ソングライン、アボリジニの社会。本当に面白い。
何万年も続いた歴史にはちゃんとそれだけの理由があると思うし、それが、私達のとはまったく違うシステムなのが興味深い。

ほとんどの部族は近隣部族の言葉を話せたので、領地をまたいでも問題なくコミュニケーションがとれた。不思議なのは、あるソングラインの一端に住んでいる部族Aの人間が、部族Q のことばをまったく知らなくても、その部族の歌を数小節聞きとれば、どの土地のことが歌われているのか正確にわかるということだ。…
…テレパシーだと主張する人たちもいる。当のアボリジニは、ソングマンたちが催眠状態でソングライン上を飛びまわっているのだ、などという。だが、このほかにも、もっと驚くべき仮説がある。
詩の内容には関係なく、メロディの輪郭は通過する土地の特徴を表していると思われる。… (P176 -)

これは面白い。本当かなぁ。曲はわからないけど、なんとなく悲しいとか楽しいとかは感じたりするけど、それが地形のこととなると。。

 

いまの時代、人はいつの世にも増して、持たざる暮らしを学ぶべきだ。物は人の心を不安で満たす。ー 持てば持つほど、不安はいや増す。物には魂にとり憑く力があり、その人間を支配するのだと。…「すばらしいと思いませんか。このすばらしい二十世紀に生きていることは?歴史上初めて、人は物を持つ必要がなくなったのです」 (P108)

物を少なく生きてかななー。持ち歩くものが多いのはなかなかなおらないけれど。  

丘陵に延びる道に残された歌は、イエバエの繁殖周期を調節するためのしかるべき儀式を怠った、ドリームタイムのある先祖のことを歌ったものだった。その失態のせいでウジムシの大群がバート平原にはびこり、植物を食いつくして、今日のようなありさまにした。その先祖はウジムシを集めて尾根の岩の下に押しこめ、それ以来ウジムシは地下で繁殖を繰り返してきた。長老は言った。もし鉄道会社が丘を切り崩したら、大爆発が起こるだろう。ハエの群れが雲のように空へひろがり、大地をすっぽり覆って、人間も動物も残らずその毒で殺すだろう、と。
「原爆だね!」僕は言った。…
英国軍はマラリンガでの水爆実験に先だって、アボリジニ向けに「立入禁止」と英語で書いた看板をいくつか掲げたが、みながみなそれに目を留めたわけでもなければ、英語を読めたわけでもなかった。(P129 -) 

この本を読んで初めて知ったことだった。。被害の実態は当時”ひと”扱いをされていなかったので分からずじまいらしい。
ひどくて悲しい現実です。

   

…料理に対する礼のひとこともなしに、繰り返しおかわりの皿を差し出した。…
「それで、この場所にはどんな物語があるんだい」…
青シャツの男は立ちあがって、トカゲ族の先祖の物語をパントマイムで演じはじめた。…
…「君はきっと気に入られたよ」アルカジーが言った。「これが彼らなりの料理への礼なんだ」…
アルカジーが言うには、僕たちが見たのは、本物の歌ではもちろんなく、”対外用”つまりはよそ者向けに演じられた省略版だったらしい。本物の場合、トカゲ族の先祖が旅した前道程で、水を飲んだすべての泉、槍を削りだしたすべての木、夜を過ごしたすべての洞窟の名前が歌い上げられる。(P172 -)

アボリジニ居住区に行った時にも、カンガルーのしっぽの差し入れに「ありがとう」は、なかったけど、「蜜ありいたよー」って見せてくれて食べさせてくれたのが、ありがとうだったんだな、って思った。
アートでもそうだけど、本当に大切なことは外の人には語られない。アボリジニの人でも、まずは対外用みたいな、子供向けの神話から、時期が来るにつれて少しずつ大切なことを教わる、と聞いた。

アボリジニの友情は決して”純粋”なものではない、とリディアは彼に警告した。彼らはつねに、白人を”供給源”と見なしている。いったん”仲間”になったら、すべてを分け与えるよう要求されるだろう、と。…アボリジニの儀式の秘密を教わった若い人類学者がいたが、そのことを記した論文を発表してからというもの、学者は頭痛と鬱状態に悩まされるようになり、いまではオーストラリアの外でしか暮らせなくなっていた。…アボリジニはその恐るべき不動性でオーストラリアの喉もとをおさえている。この一見おとなしい人々はただならぬ力を秘めていて、じっとすわって見張り、待ち受け、白人の罪につけいるのだと。(P231 -)

これは、物を持っている白人の考え。でも、単なる一時的なあこがれでイニシエーションなんてうけたら、みんなで分け合うのが当たり前の社会ではやっぱり分け合うように言われるのはしょうがないと思う。
ボーンポインティングとかはどうなんだろう。。と思うけど、自然の中で何万年も変わらず暮らしている人たちの力は侮れないと思う。

(現代生活と伝統的生活の)どちらの世界でもやってける力をもっていることこそが、目には見えないにせよ、驚くべき活力の証だった。
土地権利法は、アボリジニが自分の土地へもどるチャンスであり、アルコール依存から脱する唯一の望みだとして、タイタスはこれを歓迎した。彼は採鉱会社のなすことすべてを憎んでいた。
その法令により、政府は地下の鉱物すべての所有権と、探鉱の許可を与える権利を保有した。さらに、採鉱会社がアボリジニの土地で探査をおこないたい場合は、まず”伝統の地主”に掛けあうこと、また掘削をはじめたら地主に使用料を支払うことが、最低限義務づけられた。
鉱物によって富を得ることについて、タイタスは、利害を考慮した上で、白人にとっても黒人にとっても悪だとする立場をとった。鉱物マネーこそが、オーストラリアを堕落させ、まやかしの価値観と生活基準をもたらしたと考えたのだ。…
…タイタスは、意図せずして、白人の実業家のあいだでも、アリス・スプリングスのや新旺盛な黒人のあいだでも疎まれる存在となった。(P256 -)

  

チュリンがを改ざんすることで、アマデウス一族は”創造”を書き換えようとしたのだ。…
これからはアボリジニも、部族の掟をねじ曲げてまで私腹を肥やそうとするようになるのだろうか (P258)

マイノリティが生きていくには、やっぱりマジョリティのやり方を知らないといけない。アボリジニの人たちももう、彼らだけで生活していく時代はとっくの昔に終わってしまっているので、両方の生活をうまくやっていける人が増えるのがいいのだろう。
けれど、働かなくても入ってくるお金はそういう人たちの邪魔をする。難しい問題。   

僕は思った。いったい何が、このオーストラリアの女たちを輝かせているのだろう。(P168)

中央オーストラリアでは、女性が中心となって、昔ながらの暮らしへの回帰を推し進めている。ある女性は僕の友人にこういった。「女は土地のために生きているのよ」(P292)

オーストラリアに来て、女性が強い、輝いてるという表現はよく聞く。
旦那に行ってみたら、「まぁ、どこの国でもじゃない?」っていってた。笑

一生をかけて先祖のソングラインを歩き、歌いつづけることで、最後に人は、その道となり、先祖となり、歌となったのだ。(P296)

…神話の世界では、みずからを”正しい死”へ導く者こそが理想的な人間とされている。その境地に達したものが”帰還”を果たす。
オーストラリアのアボリジニは、独特のルールに従って”帰還”する。正確には、自分の属するところへ、自分の”始まりの場所”へ、自分のチュリンガが保管されている場所へと至る道を、歌いながらたどっていく。そうしてようやく、その人間は”先祖”になるーあるいは、ふたたびなるーことができる。…
「チュリンガはあそこにある」…死を待つ男が3人その(マットレス)上に横たわっていた。
…彼らは満ち足りていた。ユーカリの木陰で末期の微笑みを浮かべた彼らは、自分がどこへ向かっているのかを知っていた。(P482 -)

これからは、本当にこうやって伝統的な暮らしをして一生を終える人は少なくなってくんだろうな。
私は、どこでどんな風に死ぬのかなぁ。特に先進国はどんな民族性があるにしても、死ぬ時は代わり映えなく死んでく。
私のお葬式はどんなだろう。どんな風にしたいかもわからないなぁ。

読んでふと思った。アボリジニのアートも歌も、いろんな決まりごととか重要なことが含まれるけど、水や食べ物のありかとかは、中央砂漠といっても現代の社会と交わっているから、必要ではなくなってしまっている。ほかにもいろんな重要な祖先から受け継いできたものがあるけど、やっぱり、すでに損なわれてしまっている部分も多いし、日本でもそうだけど、便利さに代わって伝統を受け継ぐことが難しくなってる現実はやっぱりさみしい。
どの国でも変わるしかない時代にあって、変わってしまうのはしょうがないけど、それが暴力的に奪われた現実を知ると、取り返しのつかないことってあるんだなぁとか思う。単なるノスタルジーなのか。滅ぼされたとかとは違うけど、武士の人たちとかどうだったんだろう。

たくさんアボリジニ関連の本借りているので、そして、めまいがする時は読めないので結構時間が掛かると思うから、当分彼らのことを考えてそう。


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